こちらでは、南スペインの世界遺産をご紹介させて頂きます。イベリア半島南部の南スペインは、ジブラルタル海峡を挟んですぐに北アフリカを臨む場所です。世界地図や地球儀をご覧になれば分かりますが、このジブラルタル海峡は非常に狭い海峡で、イベリア半島と北アフリカの間には実は大した距離がありません。歴史的にも、ヨーロッパとアフリカの境目として大きな意味を持った南スペイン。まずは個々の世界遺産を紹介するのに先
こちらでは、南スペインの世界遺産をご紹介させて頂きます。イベリア半島南部の南スペインは、ジブラルタル海峡を挟んですぐに北アフリカを臨む場所です。世界地図や地球儀をご覧になれば分かりますが、このジブラルタル海峡は非常に狭い海峡で、イベリア半島と北アフリカの間には実は大した距離がありません。歴史的にも、ヨーロッパとアフリカの境目として大きな意味を持った南スペイン。まずは個々の世界遺産を紹介するのに先だって、南スペインの地理・歴史に触れたいと思います。
◎南スペインの地理
当サイトでは、南スペインの定義をアンダルシア・ムルシア・エストレマドゥーラの各自治州としています。温暖な気候・開放的な空間、我々が漠然とイメージするスペインのイメージはだいたい、この南側の地域で見られる特色です。それでは、州ごとの独立性が高く、それぞれに個性的な各州を見ていきましょう。
1.アンダルシア自治州
州都はセビリアで、公用語はカスティリャ語です。セビリア(セビージャ)以外にも、コルドバやグラナダといった歴史的に著名な都市が多く存在するアンダルシア州は、スペインの全州で第1位の人口を誇っています。反面、経済的にはスペインの中でも大きく遅れているのが現状です。スペイン政府もセビリア万博を開催するなど様々に対処を行っていますが、未だ解決は見ていません。
ちなみにアンダルシアという地域名は、ゲルマン人が西ヨーロッパに国家を樹立した中世初期に、ヴァンダル族がイベリア半島南部を支配していた時期があることに由来しています。(このヴァンダル族はさらに南へと移動し、最終的にはアフリカ北部にヴァンダル王国を建国していますが、後に東ローマ帝国のユスティニアヌス1世によって滅ぼされました)
また、大航海時代に新大陸(アメリカ)を目指した人々は、このアンダルシアの港から出航したことが知られています。そのため、現在でも南米のスペイン語圏・北米のヒスパニックなどアメリカ大陸にいるスペイン語話者は、多くがアンダルシア訛りのカスティリャ語を用いています。
温暖な地中海性気候であり「太陽が照りつけ、湿気は少ない」というスペインのイメージそのものといった雰囲気なので、観光地として人気があります。
2.ムルシア自治州
州都はムルシアですが、州議会はカルタヘナに置かれています。使用言語はカスティリャ語ですが、一部地域ではバレンシア語も用いられているようです。
ちなみに、州都となっているムルシアの大元はスペイン人が建設した都市ではないのをご存知でしょうか。実はイベリア半島は一時期、北アフリカから来襲したイスラーム勢力によって支配されていたことがあり、ムルシアを建設したのは後ウマイヤ朝のアブド=アッラフマーン2世なんです。要するに、アラブ人によって最初に開発された都市ということになるわけですね。
3.エストレマドゥーラ自治州
州都はメリダで、使用言語はカスティリャ語です。ここも、かつてはイスラーム世界に属していた時期が長いことで知られています。大航海時代にアメリカ大陸へと攻め込んだコンキスタドレスの出身地としても知られており、インカ帝国を滅ぼしたピサロ・アステカ帝国を滅ぼしたコルテスは共にエストレマトゥーラの出身です。
◎南スペインにまつわるエピソード
〜レコンキスタ(再征服運動 / 国土回復運動)
イベリア半島がイスラーム世界に属していた時期が長いことは上で述べていますが、今現在はイベリア半島にイスラム教国家はありません。あるのは、カトリックの強いスペインとポルトガルです。いったい、どのような歴史を経て、イスラーム勢力の支配下に入ったのでしょうか? そして、どのようにキリスト教世界へと変わったのでしょうか?
古代、イベリア半島はカルタゴ(北アフリカを根拠地とするフェニキア人国家)の都市であるカルタゴ=ノヴァが置かれており、後にローマ帝国の属州となりました。(カルタゴと共和政ローマが衝突したポエニ戦争でローマが勝利し、カルタゴが滅亡したため)ローマ帝国は後にキリスト教を国教化していますので、その段階ではキリスト教の勢力圏だったということになります。
ローマ帝国は最終的に東西分裂しており、その際にユーラシア大陸西端であるイベリア半島は西ローマ帝国に属しました。しかし、東ローマ帝国が繁栄した一方で、西ローマはあっさりと滅亡してしまいます。原因は、北欧・東欧で暮らしていたゲルマン人が新天地を求めて西ローマ帝国へと侵入してきたことでした。(ゲルマン人の大移動)
最終的にゲルマン人の中でも西ゴート族という民族がイベリア半島に国家を樹立し、西ゴート王国となります。この西ゴート王国は宗派こそ違いましたがキリスト教徒でしたので、この時点でもキリスト教世界に属していたことになります。(ローマ帝国で認められていた正統派キリスト教はアタナシウス派という宗派ですが、ゲルマン人に広まっていたのはアリウス派という宗派です。ただ、後に西ゴート王国はアタナシウス派へと改宗し、イベリア半島全域にカトリックを広めています)
8世紀頃、イスラム教の国家であるウマイヤ朝が中東を中心に、西は北アフリカから東は中央アジア付近までを治める巨大国家へと成長していました。西ゴート王国にとっては不運なことに、このウマイヤ朝はさらなる拡大を期して北アフリカからジブラルタル海峡を越え、イベリア半島へと侵入してきたのでした。こうして西ゴートは滅亡し、イベリア半島のほぼ全域がウマイヤ朝の領土になったのです。そう、ここでイベリア半島はイスラーム世界へと編入されたわけですね。
敗れたキリスト教徒陣営は、イベリア半島北部の小さな国家――アストゥリアス王国を起点にして領土を取り戻すための再出発を図ることになります。(このアストゥリアス王国が建国されたのは718年のことです)ちなみにウマイヤ朝はヨーロッパ大陸への本格的侵入を狙ってピレネー山脈を越えようと画策しますが、これはゲルマン王朝のフランク王国:宮宰カール=マルテルの活躍によって阻止されました。(トゥール=ポワティエ間の戦い)
この後、ウマイヤ朝は内乱が原因で滅亡し、領土の大半をアッバース朝が引き継ぐ形になりました。しかし、ウマイヤ朝の残党であるアブト=アッラフマーン1世がイベリア半島に逃げ込んで後ウマイヤ朝を建国したため、この地域はウマイヤ朝の勢力下に留まることとなりました。
その後、イベリア半島の北部ではアストゥリアス王国が南へ移動してレオン王国と名乗り、付近にはナバラ王国も興りました。こうして、徐々に後ウマイヤ朝を南へと後退させるようになり、本格的にキリスト教世界によるイベリア半島の再征服(=レコンキスタ)が始まったわけです。
この後、後ウマイヤ朝が衰退して滅亡すると、南部のイスラーム勢力はムラービト朝が引き継ぎました。この頃には北部でカスティリャ王国・アラゴン王国といった強国も勃興しており、キリスト教勢力が南下を押し進めるようになっています。
ムラービト朝も滅亡すると、今度は南イベリア半島を治めるイスラーム国家はムワッヒド朝となりました。この頃にはカスティリャ・アラゴンの2国が主力となってイスラームを駆逐しています。ムワッヒド朝は内乱で衰退・分裂状態となり、13世紀の時点ではグラナダ一帯を除く全土がキリスト教世界となっていました。(厳密には、ムワッヒド朝はアフリカ側に興った別のイスラーム王朝:マーリン朝に都を陥落されて滅亡したというのが正しいですが、ここでは気にしなくても良いでしょう)
最後に残ったグラナダ一帯を治めるナスル朝グラナダ王国は、カスティリャに臣従する事実上の属国となっており、この時点ではもうイベリア半島での勝敗が決定づけられていました。
これまではキリスト教国同士での内輪揉めも多く、迅速にレコンキスタを完了できないことも多かったのですが、1474年になってカスティリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世が結婚――両国はスペイン王国として合併しました。これにより、内憂のなくなったスペイン王国は、ナスル朝の内紛に乗じてグラナダ:アルハンブラ宮殿を陥落させてしまいます。これは1492年のことでした。こうして、イベリア半島からイスラーム系の王朝は完全に消滅。レコンキスタは完了しました。
ところで、1492年という年号はコロンブスが新大陸アメリカに渡った年でもあるのですが、この一致は決して偶然ではないのをご存知でしょうか? 実は、レコンキスタが完了に近づいて地盤が安定したからこそ、スペインの目標が「海の向こうを征服すること」になったんですね。
そして、もう1つの豆知識。レコンキスタは日本語で「国土回復運動」と訳されることが多いようですが、これは正直なところ誤訳と断じざるを得ません。レコンキスタというスペイン語は、英語で書くと“re conquest (リ・コンクエスト)”となり、これは「再び征服する」という意味になります。レコンキスタはイスラーム王朝が繁栄していた土地をキリスト教側が征服し返す「再征服運動」なのです。「国土回復」という攻撃性を感じさせない訳語は、少々キリスト教世界に媚びた言い回しであると言わざるを得ないでしょう。
以上、南スペインにまつわる地理・歴史のお話でした。これらを知った上で見てみると、スペインの世界遺産がより魅力的に映るのではないでしょうか。
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◎南スペインの地理
当サイトでは、南スペインの定義をアンダルシア・ムルシア・エストレマドゥーラの各自治州としています。温暖な気候・開放的な空間、我々が漠然とイメージするスペインのイメージはだいたい、この南側の地域で見られる特色です。それでは、州ごとの独立性が高く、それぞれに個性的な各州を見ていきましょう。
1.アンダルシア自治州
州都はセビリアで、公用語はカスティリャ語です。セビリア(セビージャ)以外にも、コルドバやグラナダといった歴史的に著名な都市が多く存在するアンダルシア州は、スペインの全州で第1位の人口を誇っています。反面、経済的にはスペインの中でも大きく遅れているのが現状です。スペイン政府もセビリア万博を開催するなど様々に対処を行っていますが、未だ解決は見ていません。
ちなみにアンダルシアという地域名は、ゲルマン人が西ヨーロッパに国家を樹立した中世初期に、ヴァンダル族がイベリア半島南部を支配していた時期があることに由来しています。(このヴァンダル族はさらに南へと移動し、最終的にはアフリカ北部にヴァンダル王国を建国していますが、後に東ローマ帝国のユスティニアヌス1世によって滅ぼされました)
また、大航海時代に新大陸(アメリカ)を目指した人々は、このアンダルシアの港から出航したことが知られています。そのため、現在でも南米のスペイン語圏・北米のヒスパニックなどアメリカ大陸にいるスペイン語話者は、多くがアンダルシア訛りのカスティリャ語を用いています。
温暖な地中海性気候であり「太陽が照りつけ、湿気は少ない」というスペインのイメージそのものといった雰囲気なので、観光地として人気があります。
2.ムルシア自治州
州都はムルシアですが、州議会はカルタヘナに置かれています。使用言語はカスティリャ語ですが、一部地域ではバレンシア語も用いられているようです。
ちなみに、州都となっているムルシアの大元はスペイン人が建設した都市ではないのをご存知でしょうか。実はイベリア半島は一時期、北アフリカから来襲したイスラーム勢力によって支配されていたことがあり、ムルシアを建設したのは後ウマイヤ朝のアブド=アッラフマーン2世なんです。要するに、アラブ人によって最初に開発された都市ということになるわけですね。
3.エストレマドゥーラ自治州
州都はメリダで、使用言語はカスティリャ語です。ここも、かつてはイスラーム世界に属していた時期が長いことで知られています。大航海時代にアメリカ大陸へと攻め込んだコンキスタドレスの出身地としても知られており、インカ帝国を滅ぼしたピサロ・アステカ帝国を滅ぼしたコルテスは共にエストレマトゥーラの出身です。
◎南スペインにまつわるエピソード
〜レコンキスタ(再征服運動 / 国土回復運動)
イベリア半島がイスラーム世界に属していた時期が長いことは上で述べていますが、今現在はイベリア半島にイスラム教国家はありません。あるのは、カトリックの強いスペインとポルトガルです。いったい、どのような歴史を経て、イスラーム勢力の支配下に入ったのでしょうか? そして、どのようにキリスト教世界へと変わったのでしょうか?
古代、イベリア半島はカルタゴ(北アフリカを根拠地とするフェニキア人国家)の都市であるカルタゴ=ノヴァが置かれており、後にローマ帝国の属州となりました。(カルタゴと共和政ローマが衝突したポエニ戦争でローマが勝利し、カルタゴが滅亡したため)ローマ帝国は後にキリスト教を国教化していますので、その段階ではキリスト教の勢力圏だったということになります。
ローマ帝国は最終的に東西分裂しており、その際にユーラシア大陸西端であるイベリア半島は西ローマ帝国に属しました。しかし、東ローマ帝国が繁栄した一方で、西ローマはあっさりと滅亡してしまいます。原因は、北欧・東欧で暮らしていたゲルマン人が新天地を求めて西ローマ帝国へと侵入してきたことでした。(ゲルマン人の大移動)
最終的にゲルマン人の中でも西ゴート族という民族がイベリア半島に国家を樹立し、西ゴート王国となります。この西ゴート王国は宗派こそ違いましたがキリスト教徒でしたので、この時点でもキリスト教世界に属していたことになります。(ローマ帝国で認められていた正統派キリスト教はアタナシウス派という宗派ですが、ゲルマン人に広まっていたのはアリウス派という宗派です。ただ、後に西ゴート王国はアタナシウス派へと改宗し、イベリア半島全域にカトリックを広めています)
8世紀頃、イスラム教の国家であるウマイヤ朝が中東を中心に、西は北アフリカから東は中央アジア付近までを治める巨大国家へと成長していました。西ゴート王国にとっては不運なことに、このウマイヤ朝はさらなる拡大を期して北アフリカからジブラルタル海峡を越え、イベリア半島へと侵入してきたのでした。こうして西ゴートは滅亡し、イベリア半島のほぼ全域がウマイヤ朝の領土になったのです。そう、ここでイベリア半島はイスラーム世界へと編入されたわけですね。
敗れたキリスト教徒陣営は、イベリア半島北部の小さな国家――アストゥリアス王国を起点にして領土を取り戻すための再出発を図ることになります。(このアストゥリアス王国が建国されたのは718年のことです)ちなみにウマイヤ朝はヨーロッパ大陸への本格的侵入を狙ってピレネー山脈を越えようと画策しますが、これはゲルマン王朝のフランク王国:宮宰カール=マルテルの活躍によって阻止されました。(トゥール=ポワティエ間の戦い)
この後、ウマイヤ朝は内乱が原因で滅亡し、領土の大半をアッバース朝が引き継ぐ形になりました。しかし、ウマイヤ朝の残党であるアブト=アッラフマーン1世がイベリア半島に逃げ込んで後ウマイヤ朝を建国したため、この地域はウマイヤ朝の勢力下に留まることとなりました。
その後、イベリア半島の北部ではアストゥリアス王国が南へ移動してレオン王国と名乗り、付近にはナバラ王国も興りました。こうして、徐々に後ウマイヤ朝を南へと後退させるようになり、本格的にキリスト教世界によるイベリア半島の再征服(=レコンキスタ)が始まったわけです。
この後、後ウマイヤ朝が衰退して滅亡すると、南部のイスラーム勢力はムラービト朝が引き継ぎました。この頃には北部でカスティリャ王国・アラゴン王国といった強国も勃興しており、キリスト教勢力が南下を押し進めるようになっています。
ムラービト朝も滅亡すると、今度は南イベリア半島を治めるイスラーム国家はムワッヒド朝となりました。この頃にはカスティリャ・アラゴンの2国が主力となってイスラームを駆逐しています。ムワッヒド朝は内乱で衰退・分裂状態となり、13世紀の時点ではグラナダ一帯を除く全土がキリスト教世界となっていました。(厳密には、ムワッヒド朝はアフリカ側に興った別のイスラーム王朝:マーリン朝に都を陥落されて滅亡したというのが正しいですが、ここでは気にしなくても良いでしょう)
最後に残ったグラナダ一帯を治めるナスル朝グラナダ王国は、カスティリャに臣従する事実上の属国となっており、この時点ではもうイベリア半島での勝敗が決定づけられていました。
これまではキリスト教国同士での内輪揉めも多く、迅速にレコンキスタを完了できないことも多かったのですが、1474年になってカスティリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世が結婚――両国はスペイン王国として合併しました。これにより、内憂のなくなったスペイン王国は、ナスル朝の内紛に乗じてグラナダ:アルハンブラ宮殿を陥落させてしまいます。これは1492年のことでした。こうして、イベリア半島からイスラーム系の王朝は完全に消滅。レコンキスタは完了しました。
ところで、1492年という年号はコロンブスが新大陸アメリカに渡った年でもあるのですが、この一致は決して偶然ではないのをご存知でしょうか? 実は、レコンキスタが完了に近づいて地盤が安定したからこそ、スペインの目標が「海の向こうを征服すること」になったんですね。
そして、もう1つの豆知識。レコンキスタは日本語で「国土回復運動」と訳されることが多いようですが、これは正直なところ誤訳と断じざるを得ません。レコンキスタというスペイン語は、英語で書くと“re conquest (リ・コンクエスト)”となり、これは「再び征服する」という意味になります。レコンキスタはイスラーム王朝が繁栄していた土地をキリスト教側が征服し返す「再征服運動」なのです。「国土回復」という攻撃性を感じさせない訳語は、少々キリスト教世界に媚びた言い回しであると言わざるを得ないでしょう。
以上、南スペインにまつわる地理・歴史のお話でした。これらを知った上で見てみると、スペインの世界遺産がより魅力的に映るのではないでしょうか。
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